普通に生きるということ〜魔女日記より〜

2021年2月16日 kumamoto

そんなに飽きることもなく日々のウォーキングは続けている。このくらいの期間続くと習慣化するので継続しやすい。それと共に同じ時間に集う歩き仲間の面子が大分把握できるようになってきた。ほとんどの方は、私よりもゆっくりな歩調なので私が横を過ぎ去るときに挨拶をする。ただ、お一人の方はおそらく登山を趣味としてらっしゃる方なのだろう、両手にピッケルを持って颯爽と私を抜き去られる。いくら負けず嫌いな私と言っても走って抜くようなことはしない。また歩き始めれば、抜かれるだけなのだ。それより気になるのは、その御仁の歩くピッチと私のそれが同じくらいであることだ。同じステップの調子で歩いていて、そこまで颯爽と抜かれてしまうということは、理由は一つだけ。ストロークが長いのだよ。「おじさん足長いのな」と心中思いつつ、自分のミニさ加減に想いを馳せる。想いを馳せると言っても、自分のこの体のことなのだから、遠くに感じる必要はないんだが、とりあえずは自分の思考より遠くに感じておきたい。自分の小ささ。あのおじさんの股下が私よりも10センチ長いとすると、あのおじさんの歩幅は60センチも広くなるのか? 違うな。そんなの変だ。(X +10)2πr=……、そうか。これじゃ円周じゃないか。角度があるのだな。直角まではないだろうから60°と仮定すると1/6で10センチ。一歩で10センチの差が生まれるのか。悔しくないけど、それを同じスピードで超えていくために私は今の速度よりも一歩で20センチ広くピッチを取るか、もっと早く歩くかだ。とか書きながら、勝とうとしているのか。だめだだめだ。あのおじさんは、自分のペースであの速度なのだ。私も私のペースを守ることが大事なのだ。自分の世界は自分のスピードでしか測れない。私は私の世界を私の速度で歩み、見つめながら生きていく。
冷え込んだ曇天が日が上がると途端に温度を上げつつ明るく染まっていく。
この世界は、生きやすくはないのかも知れない。
でも、自分の生きる世界を変えていくのは案外容易いことなのかも知れない。
天使の梯子と呼ばれる雲居の隙間から見える彩光は、きっといつの時代も人々に希望を与えてきたんだろう。

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