普通に生きる

今日も朝から歩いた。
ここ数年、起きたとしてもほとんどのことをベッドの中で済ませてしまっていたことを考えると、かなり人間らしいような生活スタイルなんじゃないかと思う。
東京から南西にあたる熊本では日の出の時間も遅い。
私が歩いている時間は、ちょうど朝日が昇る頃だ。
既に夜は白んでいるので、暗いということもない。阿蘇外輪山から昇る朝日を眺めながら意味もなく歩いている。背後には雲仙岳が見える。
変な話、どちらの山が噴火したとしても、少なからず影響が出る。
そんな環境だろうが、私は歩いている。
そのランニングコースを備えた公園には、途中途中にジムアイテムが備えてあるという気が利いた所だ。周りは、そのあたりの土地を所有しているであろう地主の家と田畑。ほんの少し歩けば大通りに出れる。自宅からの距離も徒歩で10分もないくらいなので、そんなに気持ちを強くして出かける必要もない。以前は、標高200メートルくらいの小高い丘の上にある加藤清正像がある本妙寺の上まで登っていた。帰宅したら、筋トレを一通りこなし、朝食を作る。これが私のルーティン。運動前に洗濯機のスイッチを入れ、マンションベランダに植えていたハーブ30鉢の世話をするのも日常であった。他のことは、思い出したくない。
人というものは、面白いもので本当に月日が経つと出るだけ楽しい思い出のみ記憶の中に残そうとするものらしい。いまだに両親に対しての憎さ爆裂してぶちまけることはあるが、こういうことをできるのも今私が存在し、考えることができることなのだから、そこそこ落ち着いたものだ。
今日も友人が亡くなった。
心不全による突然死。まだ幼い子を残し、地元ではかなり大きな建設業の社長職をこなしていた彼の無念さとは、如何なるものなのか、私には想像もできない。
ただ、残された奥様には何か相談事があれば直ぐに連絡いただくように、奥様に親しい友人に託けておいた。人は1人では、本当に弱いものだ。
他の動物とは違い、人と人との温もりを感じられないと生きられない、ひ弱な存在だ。何かしら私にできることがあれば、それだけで私は嬉しい。
何もできない、することがないことほど人は自分を滅したいと思うような気がしてならない。

明日から大阪に出張だ。
亡くなった彼の遺影は屈託のない笑顔だった。
彼が支えてきた多くの方々にお礼を言いたい。
彼を支えてくれたのは、他ならぬあなた達なのだと。
その彼に少なからず支えてもらったのは、私なのだと。

人生は辛いことがほとんどだ。
だからこそ、楽しい時をしっかりと過ごすことが大事なのかもしれない。

Minako Shimazoe sorror 6-1

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