「知られざる神」

何だか、この題だけで偉そうなことを語るように聞こえる?
素晴らしい響き。
知られざる神は、私の蔵書の一冊。
ここのところ本屋さんに行っても、全くもって精神世界の本とか占いの本などのコーナーに食指が動かない私。
先日、久しぶりに背表紙を眺めてみた。
なんとも、分かりやすい表記で、なんでも可能にしちゃう本が大量に出回っていることが分かりました。
まぁ、まぁ、それはそれで良いんです。
捉え方一つでなんでも変化します。
ただ、、この似たような本ばっかり並んでるのを見ると「あー、何かを求めているのだけれど、叶わない人々が殆どなのだな」と感じます。
何冊か手にとって目次を流し読みすると、ごく当然の生活のことが、全てサイキックエネルギーの賜物であるから、あなたもこれで幸せになっちゃうのよ。
幸せと思い込みなさい!!
というメッセージが私に伝わってまいります。
そして、残念なことに裾野の平易なオカルト系の精神性を語ったものは増えているのですが、オカルトっていうと、コア過ぎるように聞こえるかもしれませんが、ライトノベルのいう分野があるのなら、今のスピリチュアル書籍の別名は「ライトオカルト」で良いと思う。あー、言い切っちゃった。
で、話しは戻るのですが、本当のオカルト本が、非常に少なくなっている!
これは、かなりゆゆしき危機!
魔女の最後の仕事として、売れない魔術本を書くというのがあるのですが、
私の学びは、全て古典から来ているので、
出来れば、その古典を現代語訳してみたいと言う気持ちが出てまいりました。
ぜーったい、変な風に訳されてるんだよね。
この系統の本って。
なにせ、ゲマトリアにしても訳が大昔で、しかもオカルト専門用語の訳が無茶苦茶。
それと、私と同じように頭を少しでもよく見せたいと言う変な欲求があるもんだから、言葉自体も回りくどいし。
読んだことある方はわかると思いますが、本当の魔術本って、最低3回読まないと意味わからない。これ当たり前。
私が陶酔していたクロウリー様に至っては、8回読んで、ようやく飲み込める始末。
そして、クロウリーの著書には必ず嘘が散りばめてあるから、余計に厄介だ。
今、あの頃の私を思い出しても、よくもまぁ読んだよな、、と思えます。
寝起きから読んで、寝る前も読んで。
付箋だらけの本から付箋が無くなるまでさらに読む。
熱中するということ、これは魔術自体の大切な要素になります。
夢中になると時間意識がなくなる。
これは、マクロコスモスと共に生きているのと同じ境地にあるといえます。
で、知られざる神という表題ですが、これは、私たちの中にある内なる神の話を著したものです。
1960年代に書かれてたと思うんだけど、この位のオカルトの本って、馬鹿正直に変態扱いされながらも己の道を突き進みながら出版までしているというツワモノ。
文学は、古典に限ります。
現代まで読み継がれてきても、未だ気付きを与えてくれる書物に心から感謝です。

大好きな目黒庭園美術館のグリルをモチーフにしたbookmarker。 それと、このボールペは、書きやすい。

大好きな目黒庭園美術館のグリルをモチーフにしたbookmarker。
それと、このボールペは、書きやすい。

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