日々是口実2017年6月

~2017 June〜
島添美奈子から大切なあなたへ
カレンダー形式にした方がいいのかしらなんて思いながらも、
かなりネットサーファー化して、最終的に疲れてやめる。
そんな私。

6月11日

部屋の中が荒れている。

出張から帰ってくるとしばらくはこの状態が続く。
別に何も困らないが、自分の目に余るようになると、
B29の飛来予報が出た時のように、私は早々に片付けてしまう。
その際に、必ずといっていいほどなぜかそれまでは頑なに取っておいたものを手放すことになる。
こんなどうでもいいものをよくもまあ大事に取っておいたなと思うのであるが、
その時には、必要なものであったのだろう。
時に悲しく、時に辛く、誰かの胸の中で眠りたいと思いながら、
今晩も更けていく。
自分に家庭を持てるとは、もう思えなくなってしまった。
私は、一緒に居ればきっとその人のいい面も生き過ぎた形にしてしまうのかもしれない。
何もかも詩的に生きたかった。
それが無理なのは、当然わかってはいたがそのような願望を私が持っていたことをここに記しておきたいと思う。

5月23日

ほぼ一日中、誰かの人生に沿って生きている。幸せなことなのだろう。

それはそれで、何もかも上滑りな感が拭えない。私は他の誰でもない島添美奈子で居るのだろうか?

何もかも流れていく。

全てが虚構のように。

ただ、私が幸せであることには変わらないのだ。

そう思うこと自体が大切なことなのだと言い聞かせながら、日々を過ごす。

5月16日

暇になってしまった。

5月30日の昼の最中、今までになかったことだが、

東京での予定がすっぽり空いた。

何かした方がいいのかな。

何もしない方がいいのかな。

誰か、会わなきゃいけない人って居たかしら?

忙しすぎるのも死にたくなるし、

暇になると死んでみよっかなと思う。

どこまでアホな存在なんだろう。

生きてる限り、

全力で何をなすべきなのかな。

一人歩いて、車に敷かれたり、はねられたりしてみたいという欲求はいつでも付いて回る私。

結局は貪欲なのだ。

軽率で貪欲。

最悪じゃないか。

 

5月15日

昨日は、小魔女の運動会だった。

過去、運動場をまともにカーブを曲がらず、一直線に教室に戻っていった思い出が蘇る。

彼女も、日々成長しているのだ。

もちろん、もう一人の私の大切な友人も、きっとそうに違いないのだろう。

ただ、私は取り残されたような気持ちで日々を堕状に過ごしている。他に過ごしかたがわからないという方が正しいかもしれない。

何を恐れることもなく、他の方からは恵まれた存在に思われているが、な網は空虚そのもおである。オズの魔法使いの一説にあったな、カカシが自分の心臓を欲しがる場面。似ているのかもしれない。

あるのにないと思い込む。

人は正直そう思う方が楽なのだろう。無い物ねだりは簡単だ。持っているのに使わないとなると非難を浴びる危険性を孕む。だとしたら、元々備わっていないと自分に言い聞かせる方がどれだけ楽であるのか。

先日、イギリスに渡航中の動画などを告知する際に、面倒臭いという理由だけでfacebookを再度立ち上げたが、、、やはり疲れる。

自分を刻むことなく自分の人生をできることなら全うしたいと思う。

タロット占い歴として、40年を迎えようとしている。つまり、私が還暦を祝う前にタロットとの半世紀パーティを行おうではないか。よし、当座の生きる目的として、それを構えておこう。

とりあえず、生きるのだ。

生きながらえることが彼女ののぞみであることを信じ、

学び、学び、学び続ける。

これだけは、譲れない。人は成長する葦と同じであるのなら。

私がその先駆者にんってやる。

人の域を超えること、

自分のミッションに忠実に来たいと信じ、

 

5月11日
そしてそんな頓珍漢な私にも来るべき時というか、
贅沢な悩みというのか、
自分で臨みつつ望んでいないことが起きていることを知る!

私、個人鑑定ここ1ヶ月受けてないじゃんか!!
ん?
でも、しょっちゅう悩みの電話には対応している。
これがまずいのか。
でも、私の中ではくっきりとした線引きがあり、
カードを切るまでは、料金はいただかない。

この信条がある以上、
悩みに対して受け答えている1時間半なんて、
なんてことないのだ。

でもふと振り返る。
私の時間って、あまりにも人様に対して使ってきていないだろうか。
でも、同時に思う。
まあ、いいんじゃないの。
とりあえず生活できてて、好きなように生きてる。
ただ、実家住まいの私が母から言われた一言にかなり心臓一月の言葉があった。
「Aちゃん、寂しいのよ」
私がもっと娘をかまうことが必要だということを彼女は語っているらしい。
私だって、もっと娘との時間を作りたいし過ごしたい。
ただ、彼女との活動の時間のズレはいかんせんどうしようもないものがあるのも事実。
シングルマザーですから。
しかもこの4人の大黒柱でもあるのです。
私が働かなくては、どうにもならない。
しかも私は、家にいて母親と一緒にキッチンに立てるような許容性を持った人間ではない。
自分がしたいように、それだけで今までの世界観を作り上げてきた。
誰からも侵されない空間を作り出すために。
話が逸れてしまったが、
個人鑑定を受けていないにしても、
私の中では今はインプットの時間を与えられ、消化している。
とんでもない量の書籍と解読解釈、自分の世界観を崩壊させ、再構築させる。
この繰り返しの毎日。
娘に聞いた。
どうしてままにお客さんが来ないようになったのかしら。
一言言った。
宣伝してないからじゃない。
!!!!
してません。
そして、私に関わってくださったほぼ全ての方は卒業とういう形で、
幸せになられている。
そうか。新しいクライアントに私がいるということを伝えなくてはならないのだな。
ンンンンンンンンん、、、、、、、、、、、、
やめておこう。
なんだかしなくていい気がする。
今は、とにかく学びの時なのだ。
食べることに困っているわけでもなく。
好きなように生きていられる今、
特に強制的に変化させる必要もない。

今日会いに行った新生児のお子様。
やはり新しい超新星は、
素晴らしい。
一挙一動、
何をしゃべらなくとも彼女は彼女として成り立っている。
もちろん我が娘にしてもそうだ。
生後2ヶ月にして言葉を発した我が娘である。

どこに出しても恥ずかしくない器量と思考を持ち
そして私には到底ありえない正義観念をも持っているという
素晴らしすぎる人材になった。
生後4ヶ月から魔術の英才教育を施したのが良かったか悪かったかは、
全く別問題としても、
彼女の存在は、私の希望であり、
この人類全てのカンテラになることは、間違いない。

もう、なんだかサイトの見え方とか、

そういうこだわりとか何にもなくなってしまった。

それは、きっと彼女が私のサイトを管理しなくなってから。

正確には、管理できなくなってから。

半強制的に世界の中心に立たされ、

それはいい意味でも悪い意味でもなく、

ただ淡々とした事実だけであり。

そのことに関して全て思い出せるような、

何もおぼえていないような、、、わからない。

ただ、一日に最低でも10通から減ることのなかった彼女からの連絡が一切ないことが、

彼女と私を隔てる世界に存在さえているのだということを思い知らされる。

誰が悪いということでもなく、

ただ、残された者は何をどうすることをできることもなく。

ただ、時が経つのみ。

この世界において、私は恵まれすぎたのだろうか。

ないものを欲しがりすぎたおかげで、

今あるものの存在価値を知らしめられたのか。

物欲が以前に比べると雲泥の差があるほどなきに等しい。

ただ、何もかも自分自身はどうなってもいい。

この世界がより良いものになることだけを思うのみである。

そのために私は誰かに私の全てを託したいのかもしれない。

この私が学びとってきた、全てのもの。

託してしまったら、

潔くこの世界、魔術の世界からは身を引こうと思う。

私なんかじゃおこがましすぎるのだ。

本当なら、生きてること自体。

 

 


~2016 August〜
島添美奈子から大切なあなたへ

7月の記事はこちらから
日々是口実7月

2016年8月3日〜続いています

いろいろあって、

様々なことを経験し、

今の私が存在している。

どれだけ償っても償いきれないこの想いは、いつも私の心の中を大きく占めている。

いつか、これらの想いは形となり、病巣を造ることになるのだろう。

それも、私が選んだ道。

だれにも勧められることなく、

私が決めた道。

 

 

私の心の闇

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2016年8月2日

諦める一歩先に、必ず宝がある ナポレオン・ヒル

いつでも私たちは、休息を求め、
できれば充足感を持ちながらも、怠惰な時間を欲しています。
不労所得や楽で悩みのない時間を求めている人もいることでしょう。
でも、私たちが人間である限り、
それは、求めても永遠に手に入らないものなのです。
私たち人間は、常に満足できないという性質を持っています。
それは、フラットな意味合いであり、善悪の定義を超えたところに存在するものです。
それがゆえに、向上心も生まれ同時に悩みも生じます。
何かに向かってあなたが歩みを進めている時、
必ずそこには障壁が存在します。
人間は、楽々と手に入れるものに対しては、重い価値を感じないものですから。
困難に打ち勝ち、何かを成し得た人々のことを偉人として、語り継ぐことまでするのです。
そして、自分に至っても何らかの目標を立て、
それに向かって歩んでいこうとする、とても可愛い存在であると言えます。
自分で立てた目標や到達点に至るのは、
そんなに楽なことではありません。
それは当然のことです。
あなたが憧れるものは、日常的にそこに存在するものではありえないのですから。
ある程度の負荷を自己にかけることでしか、
その理想を現実に変えることはできない。
そして、それを現実化するに生じる障壁を前にすると、
やはり自分には無理なのだと思う時が必ず訪れます。
でも、それはあなたが理想とした現実を手に入れる上で必要な大切なピースを目の前にしているのと
同じことなのです。
やっとその困難という名の宝石にたどり着いたのです。
その輝きに恐れることなく、自己のものにすることで、
あなたは次のステップに歩んでいくことができます。
ナポレオンが言った諦める一歩先ではなく、
諦める理由こそ宝なのだとあなたに気がついて欲しいと思います。

😀

 

2016年8月1日

百の理屈より、一つの実践

実践という言葉は、行動や実験に置き換えてもいいと思います。
あなたに最もそぐった言葉で受け取っていただければ幸いです。

どれだけ大量の知識を自分の脳に詰め込んだとしても、
私たちが自由にできる時間内で覚えられることなんか、
この地球の記憶の何億分の一にしかなりません。
私たちの使命は、知ることではないのです。
そもそも私たちは生まれながらにして、
その地球が生まれてから全ての人の記憶をインプットしてあるという説があります。
私も上記に同意します。

私たちは、もともと体に染み込んでいる知識を呼び起こすことが必要になります。
それは、外部からの刺激によってもたらされるのですが、
学習や見聞きするということにおいて、脳はほぼ受け身の状態です。
ディスカッションすれば、もう少し広い範囲での細胞に働きかけることができます。
そして、一番は、実行に移すこと。
自らが体現することで、私たち細胞は、のミクロコズモという一つの塊として、
マクロコズモに共鳴を求めるのです。
実践なしには、自分を変えること、変態に至らせることは不可能と言っていいでしょう。
時に例外は付きものですが、
例外というのは、ごくごく稀な例であり、
それが私のような普通の人間に起こることを待つのは、
時間の浪費にしか思えません。
あなたのさらなる挑戦は、常にこのマクロコズモに祝福を与え続けます。
その記憶は、次の世代にも受け継がれていくのです。
ダーウィン先生が仰っていた進化論の突然変異によっての進化は、
ごく稀な例です。
私たちが希望し、行動してきたことは、
確実に次の世代がその細胞に刻み込まれてこの世界に産み落とされます。
どんな世界を作り出したいのかは、
全てあなたの実践にかかっているのです。

©島添美奈子ソロール10−5
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