承認欲求について…

イモリ

自分を愛するって言葉が横行している。
「もっと自分を愛してあげてください」
「もっと自分を認めてあげてください」
そのような言葉をかけられたとしても、
本当に自分を愛する自体が分からない人達の方が絶対数多いと思うのに、
軽〜く、投げられる言葉のボール。
そもそも投げた本人は具体的な方法論を持っていないから、
抽象的な言葉で終わらせてしまうのだと、私は勝手に思ってる。
謎かけじゃないんだから…。
余計路頭に迷うような言葉を投げられても困るよなぁ。
現に私自身、自分を愛してくださいと言われたとしても、
「なんじゃそりゃ?」と思ってしまう。
具体的にどうしたらいいの? って問いかけには、もっと自分のために時間を使ってください。というふうな応えが多いかな。
自分のため、自分のため、、、、そこが不明瞭なのに。
この言葉は、私ができるだけクライアントには出さないようにしているwordの中の一つ。理由は、もっと自分を愛してあげてくださいという言葉の裏にある側面は、「今までの貴方は、自分を愛していない。愛する事がとても少ない」ということになる。今まで必死に生き延びてきた手合の人間からすると、その一言は直接嬲られるよりも辛い。必死以上を求められることになるのだから。
ただ、私の中にももっと自分に向き合うということは、とても大切なファクターであるという意識は強く持つ。
それは、一体なんなのか。
此処数年脳裏に考えさせながら生活していたが、先だって思いがけずその答えを拾った気がする記事に出会った。
以下がそのリンクである、
ハフポストにとても共感できる記事を見つけたのでリンク付してみました。

かなり赤裸々に描かれているが、とても核心をついているのではないかと私は思ったのだ。
そして、だからあからさまに自分大好きっ子のことが何となく自分の鼻につくのだということも判明したような気がする。
それはそうと、私が自分で自分を甘やかしているとするならば、
自分の思うがままに書籍を購入するということであろうか。
そんなに膨大な量ではないが、
専門分野の本は、必要に迫られて探す時には見つからない事が多い。
しかも良書といえども再刷されることもほとんどないことから、
中古(この言葉自体も死語に近いな)になれば、かなり高値がついていることも少なくない。
言葉には、収穫しなければならない時期が存在するのだと、自分に言い聞かせ、購入するだけして、積読ならぬ立て読となって本棚の肥やしになっている書籍も少なくない。今日も日本語訳本が出ていない物を教えていただき、確認したところ「こりゃ、買って然るべき」と直ぐにポチった。
最近は、古典魔術関係の本に傾倒していたが今回は久しぶりに私の専門であるタロットカードに関する物である。
久しぶりに新しい沼地に入ることになりそうで、
今から気持ちが高揚するのを感じる。
私は、どこまでもタロット占い師であり、魔女である。

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