人は、生まれたら必ず死ぬ。

それは自明の理。

人は、死ぬために生まれると言っても過言ではないのかもしれません。

そんな、死ぬまでの余暇の時間をいかに使うか、それがあなたに与えられた自由な選択肢であり、この世の楽園を謳歌する為の快楽の時間なのだと思います。

どんなに精神的に、感情的に、みなさんがお好きな言葉としては、スピリチャルのレベル的に高いとしても、その入れ物となる身体がボロでは、何の役にも立たないのです。

感情も理性も全て血と肉で出来ている。

この世の中が三次元である以上、私達は三位一体から逃れられないのです。

その最も基盤となる身体(BODY)をないがしろにする方々が、大変多いことを私は危惧いたします。

中国の古い文献にこのような言葉があったかと記憶しております。

毒が皮膚に入れば、膏薬(塗り薬)で治る。

肉に至れば薬で治る。骨まで入り込んでしまえば、死を待つのみ。

死を目的とした生の旅路ですから、好きなように選択されればいいのでしょうが、言葉と行動にあまりにも隔たりが大きく感じられる人が多いのは何故なのかしら?

「自分の1番大切な自分の体のことを、他人様の方ががより大事にしてくれてる」

それとも「自らのことを死なない存在だと思ってる」

実際意識してなくても、そうなのかもしれない。

他の人は死んでも自分だけは生き残る。

そんな自分勝手な考え方が私達の底辺に流れています。

ニュースなどで流れるのは、ほとんど悲惨だったり湯鬱になるものばかり。

自分より痛たましい状態の方達を見ると、自分の方がまだマシなんだと安心感を覚えられるのかもしれません。

私達のこの次元は、私達それぞれのモノ。

どうぞご自由にお生き遊ばせ。

必ず皆んなに提供されている、死という名の晩餐会まで心ゆくまでお楽しみください。

私は、その晩餐会ができる限り時には華々しく、気品豊かに、滞りなく遂行していくよう、ウオールフラワーとして、見守っています。

時に、迷われているのならあなただけのストーリーを聞かせてください。

島添美奈子ソロール6-1

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